2012年9月29日土曜日

馬鹿

「馬鹿は死んでも治らない」だったか「馬鹿は死ぬまで治らない」だったか忘れたが、今の小生は正味の馬鹿である。とにかく死ぬ前に馬鹿からは脱出したい。例によって詳細は秘密。

#1/531441 (謎)

2012年9月27日木曜日

興味ないんじゃなかったのでは?

自民党総裁の件とか日馬富士の横綱昇進と色々書きたいことはあったが、やっぱり野球の話。

バッファローズは知らん間に12連敗もしていて、監督が解任されていたとか。次の監督にはOBの山田久志や新井宏昌の名が挙がっているようだが、いっそのこと森脇代行をそのまま監督にしたらどうだろうか。色々なチームでヘッドコーチやら監督代行やらやっているし、経験豊富だ。ダメもとでかけてもいいと思うがな。結構二枚目だし、女性ファンが増えると思うが。

さて本当に書きたかったのはこの話。今まで1位と2位の差が一番開いたのは1990年のジャイアンツ、カープの22ゲーム差とか。この年の日本シリーズはどうだったかと言うと、秋山、清原、デストラーデを擁する全盛期のライオンズに4タテをくらったのだった。今年は11.5差ついているが、どうなるんだろうか。ドラゴンズ、スワローズ相手には貯金が4しかないそうで、カープ、タイガース、ベイスターズを食いまくっての11.5差。CSで負けろー。もしくは日本シリーズで負けろー。

2012年9月26日水曜日

講義始まる

今日から講義である。前期の講義はいくら何でも飛ばし過ぎだ、という反省の下、今日は少しゆっくりやってみたが、どうだったろうか?まあ汗をかく量は圧倒的に少なかったので、多分今日くらいでいいんだろう。ただ学生はちんぷんかんぷんだったに違いない。何しろいきなりベクトル空間の定義からだからね。ただ例が余りにも偏り過ぎているので、区間上で連続な関数の全体とか、実数列全体のなす集合も例に挙げておいたが、余計ちんぷんかんぷんだったかもしれない。まあ学生には「すぐわかるもんじゃないから。僕も全然わからなかった」と言っておいた。それでもテストをしなくてはいけないのが悲しい所。情報理工学部は線型代数の応用を教えられないと本当にはわからないだろうな。

後期も前期と同じく数理科学科の線型代数も教える。こちらは今日の反省を踏まえて、これから準備。

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寺田文行「新版 演習 線形代数」サイエンス社

2012年9月23日日曜日

新横綱誕生

もウ断言してもいいだろう、二場所連続全勝優勝で文句言うやつがいたら、そいつの頭の中をかっぽじって見てみたいね。いやー、13勝1敗の白鵬、14勝の日馬富士、この一番は力が入った。二場所連続全勝優勝での昇進は、双葉山、貴乃花しかいなかったらしい。お見事だね。

さて技能賞の妙義竜である。3場所連続の技能賞に加え、関脇で10番。大関候補がまた一人である。3場所連続技能賞は旭富士以来25年ぶりとか。他の5大関にも是非頑張ってほしいものだ。

野球?興味ない。

2012年9月19日水曜日

村井美樹

「村井美樹」というと、月曜夜8時にやったりやらなかったりする「Qさま!」をご覧の方には有名だと思う。で彼女の肩書は(女優)となっているんだが、最初の頃は「女優?」というくらい露出度が低かったような気がする。が、それはあくまでも彼女を知らなかったころで、その後昼ドラの再放送を見てると結構重大な役で出ていたり、「相棒」に出ていたりして、「ああっ、女優なんだな」 と思っている今日この頃。先週金曜日に「秋葉京介探偵事務所」なるものを見ていたら、いきなり開始直後に出てきて、「おっ!」という感じがした。で見続けていると、相当重要な役で、体を張った演技もしていた。うーん、さすが「女優」というだけのことはあるな。もともと「ただきれいで、賢いだけの女性」と思っていたんだが、やっぱり「女優」だな、という感じがした。これからも応援し続けることにしよう。
#若干歳はいってるが、まだまだ若い。

2012年9月18日火曜日

1両貸切

朝から山科駅まで野暮用。その後久々に電車で職場へ。普通電車が3分遅れていたせいで、新快速と普通が山科駅を同時発進。急ぐ旅ではなかったので、あえて普通電車を利用。一番後ろの車両は、小生以外誰も乗っていない。結局南草津まで貸切り状態。いやーいい気分だった。

職場では朝から仕事だったが、昼くらいに解放された。その後野暮用で大阪へ。今度は新快速を利用。急いでいたので。いやー、南草津が新快速停車駅になってよかった。乗りっぱなしで大阪へ行ける。ありがたし。

野暮用から帰ってきて、現在相撲の観戦中。集中して見るために、ブログ書きはここで終了。じゃ!

スミ3

野球に「スミ1」という用語がある。これは1回に1点取ったきり2回から0点で負ける、という意味である。今日のベイスターズは1回に3点取るも、8回まで0点。その間にタイガースに逆転されて、さながら「スミ3」で負けるところだったが、9回表2アウトから小池のタイムリーで辛くも追いつく。試合は引き分け。三浦の10勝もお預け。タイガースもベイスターズもチームに10勝投手がまだいない。頑張れ能見、頑張れ三浦。

さてそれよりも興味は、ドラゴンズ vs. ジャイアンツ。今日、明日、明後日の結果次第でジャイアンツが優勝、というところまできている。ドラゴンズは目の前で優勝されてなるものか、と必死の継投。今日1軍に昇格した浅尾も熱投を見せて、ジャイアンツ相手に2-0の完封勝ち。これで目の前での優勝は無くなった。まあジャイアンツの優勝は時間の問題だ。後はCSでドラゴンズに頑張ってもらうのみ。そこに浅尾が帰ってきたのは大きい。頑張れドラゴンズ。

武田尾(謎)。

2012年9月13日木曜日

金本の大記録

金本がついに引退するらしい。数年前、あの横浜戦での、ホームに返球しようとして目の前にたたきつけたシーンを見て、「ああ、もう駄目だな」と思って見てはいたんだが、復活してあそこまでやったのはすごいね。金本の方が小生より若いが、すごい男だと尊敬している。

さて金本と言えば連続フルイニング出場に目が行きがちだな、本人も言う通り、連続無併殺打席数の記録(1002。2位の毒島の900を大きく上回る)を取り上げたい。1塁までの全力疾走を怠る選手は見習ってほしい。

今日のもう一つのニュースはジャイアンツの笠原の勝利。笠原の父親は元プロ野球の投手。期待されながらも未勝利で引退したのだったのだが、父を超えた。素晴らしい。金本の引退報道と笠原の勝利は、世代交代の印象を受けた。笠原は頑張ってくだされい。(と珍しくジャイアンツの選手を応援する。)

2012年9月12日水曜日

“Encounter with Mathematics” 第58回

今回の出張は、中央大学理工学部で行われている“Encounter with Mathematics”に参加するため。題目は「モジュラー曲線の数論と幾何 -その魅力と百瀬さんの足跡と-」と付けられている。百瀬先生は2年前に58歳という若さでご他界されたのだが、我々前後の早稲田関係者は百瀬先生に足を向けて寝られない。百瀬先生が早稲田に客員教授でいらしていたころに、我々のため講義をやってくださり、セミナーまでやっていただいた。今の我々の研究は、その時の百瀬先生の講義とセミナーに触発されたものが多い。いやさ「触発されたものばかり」と言ってもいいくらい。で当時の小生の脳みそでは全く理解できなかった講義だが、今回のスピーカーの皆様はおかゆをなお噛んでふくめて話してくださったので、「あー、あれはこういうことだったのか」とわかった気がしてうれしかった。

先生のお子様は「たかあき」君と言う。聞いたときに「何と悪い名前をつけたか」と思ったのだが、今日は大学の先生方のしゃべる講義をメモを取りながら一生懸命聞いておられた。彼は数学者になってくれるか。なって欲しいな。まあどうでもいい話だが、誕生日は1月9日らしい。1月生まれと伺った時に、名前も誕生日も一緒とはろくなものにならんぞ、思って先生に聞いたら、9日だと聞かされてほっとした。今日はその「たかあき」君もお見えになっていた。よし、それがわかるようになろう。是非我ら数学の世界へ!

レクチャーが全部終わった後は、恒例のワインパーティー。偉い先生とか百瀬先生の前後の先生方、百瀬ゼミの学生のスピーチあり。これが大変面白かった。中には「あー、今こんなことやったら大変なことになるな」というものもあったが。まあ何にしても有益な二日間だった。「みっちゃん」に感謝。

さて問題は帰り道。今日は東京ドームでジャイアンツ vs. カープ。終わった時に駅に行ったらえらい目にあうぞ、と思ったが、三田線の春日駅から乗り込む人はそう多くないらしく、すいていた。で面倒だから日吉まで乗ってしまった。とちゅうジャイアンツのユニホームを着た数人組に出会ったので、野球の結果を聞いてみた。ジャイアンツの勝ちだという。関西にいたら思いっきり悔しがるところだが、ここは東京。「よっしゃー」と心にもない叫び声をあげて難を逃れた。しかしジャイアンツのマジックナンバーは確実に減っている。ドラゴンズはもうCSモードに切り替えたんだろうか?

最後に成りますが、百瀬先生のご冥福をお祈り申し上げます。

2012年9月11日火曜日

上大岡駅の番号

出張で関東へ戻ってきて、中央大学へ行ったのち実家へ。この辺はざっくり略。面倒臭くなかったら明日書く。

中央大学から実家までの道のりは色々あるが、結局最後は京浜急行しかない。で京浜急行に限らず、最近はどの電車でも駅に番号が付けてある。で横浜駅を発車して電光掲示板を見てびっくり。「次は上大岡(KK44)」。何と加川家のラッキーナンバー44がこんなところにまで。前のブログを見返すのが面倒臭い方のため。小生の(今や跡形もなき)実家は44番地。車の免許も狙って4月4日に取った。兄者の誕生日は4月4日。生まれた病院の住所は(嘘みたいな話だが)444番地。ちなみに小生今44歳。うーん、今まで何で気づかなかったんだろう、と考えてみた。理由(1)大抵座っている。(2)立つ時はドアの近くでなく中の方に立つ。(3)あまり新型の車両に乗らないので、出口そばの電光掲示板がある電車に乗ったのは珍しい。まあこんなものか。とにかくドアのそばに行くのは降りる直前だけだった。が、今日は珍しく新型車両のドアのそばに立っていたので、初めて気づいた。で上大岡で降りて、早速兄者に知らせよう、と急いで帰ったら、何と兄者は寝ていた。仕方ないのでお袋にだけ伝えて今日は終わり。明朝兄者にはお袋が伝えてくれるそうなので、リアクションを楽しみにしていよう。
#すでに兄者は知っていた可能性もあるが…

2012年9月8日土曜日

新幹線なう

ただ今帰省中。新幹線の中で書いています。Wifi 生活にしていい所は、どこでもかしこでもインターネットに接続できることです。まあただ出張途中にメイルが読めてしまうことが欠点ですが。

さて今回は中央大学で行われる「Encounter with Mathematics」に出席するための出張。何と今年度初出張である。今年はきっと研究費が余るわい、と思いましたが、予想以上に本を買っているので、年度末には「やっぱり足りない」ということになるかもしれませんが。

2012年9月7日金曜日

没後20年

今朝ニュースを見ていたら、尾崎豊が死んで20年経った、という話題がやっていた。死去の一報が入った時は、昼に早稲田理工51号館の図書室(通称 院読)で R.Schoof の類体塔の論文を読みながらラジオを聞いていたのだった。この日はある意味小生の青春の終わりである。高校生から大学生の初めころ大分ひねくれていた小生は、尾崎豊の「卒業」に引き込まれるようにしばし尾崎豊の歌を聞きまくっていたのである。が、このころは進路を決めかねてバイクを盗んでいく少年や、両親に背を向け一人旅立つ少年はもう現実のものではなかった。そのころは何かいい数学の結果を出すために必死になっていた時で、もう親や周辺への反抗心はおさまっていた。その後本格的に数学の結果を出すまでは、尾崎豊は封印して、そのころ(というか今でも好きな)浜田省吾へと音楽の趣味は写っていた。

さていま尾崎豊が生きていたらどうなっていただろう?かれは小生より2歳上の46、7歳。もし存命なら子供を頭から抑え込む歌を歌うか、はたまた浜田省吾の「反抗期」のような歌を歌うか、興味深い。結局彼は今の時代まで生きていなくて、伝説にされたのが良かった、というのが小生の意見だが、「いや、もっと生きて、大人の尾崎豊を聞きたかった」という意見もある。まあただ小生が感じるのはあの「卒業」を聞いたときの戦慄は2度と走らないだろうな、ということ。小生も20年+α 歳をとったわけだが、あの歌を一度消すのは嫌だ。だから、氏のCDを一枚も捨てずに実家とこっちの住処にまだおいてある。「Goood bye 青春」(長淵剛の歌)を踏み出せないところである。

2012年9月5日水曜日

重要な会議

今日は14時から重大な会議がある、と気合を入れて目覚まし3回、テレビもタイマーでオンにするようにしておいたはずなのだが、どれもスルーしたらしく、目が覚めたら13時55分。やばっ、ということで押っ取り刀で出勤。せめて少しでも会議に参加できるようにと。14時30分ちょい前に会場着。うん?入り口が空いているし、人が入っていくぞ、何じゃ?と思ったら、小生の勘違いで会議は14時30分からだった。セーフ。で会議には最初から最後まで参加できた。よかった。

さてその1時間後くらいからもう一件大事な会議が入っていて、それまで研究室で何かしながら時間をつぶそう、と思ったら猛烈な眠さが襲ってきて、床に横になって寝てしまった。時間を見ると今度こそ遅刻。20数分ほど。もう議論は始まっていたが、幸い座長がもう一回復習をしてくれたので、内容は全て把握。よかった。今日の議論を踏まえて来週続きをやる予定だが、残念なことに来週は出張でいない。結論は後日同僚から聞くとしよう。

2012年9月4日火曜日

整数論サマースクール真っ最中

今年の整数論サマースクールは非常に興味のある内容だったのだが、別件ともろにバッティングしているので参加をあきらめたのだった。でもう頭から完全に消していたんだが、先輩にメイルを送った所、「hogehoge@サマースクールです」と書いてあって思い出した次第。学会も整数論の日がちょうど仕事とバッティングしているので、多分行かない。調べてみたら誕生日も仕事バッティングしているが、まあパーティーのようなものはやる予定がないし、誕生日の翌日は仕事だろうから、晩に一人でプチ誕生日パーティーをすることになるでしょう。今度の誕生日で45になる。いよいよ四捨五入したら50だな。やだやだ。

朝から体中あちこちが痒い。頭、背中、左ひじの内側、右ひじの外側、…、ストレスだなきっと。修論を書いているときは頭にでかいこぶができ、D論書いているころは全身中が痒くなったし。今何を書いてるかって?さあね。多分背中じゃないかな(笑)

2012年9月3日月曜日

柳寿司

山科に住んで早14年目、「京都で江戸前の寿司を」というよくわからない売りの「柳寿司」に初めて行った。メンツは小生、ゆうすけべー、ちえちゃん、瞬君改めペーター(謎)の4人。なるほど激戦地山科で、あんな隅っこでやって長持ちしてるだけのことはある。旨い。ただ、鱧のてんぷらは、「いっぱい2」と「ふなごや」の方がうまかったな。まあ総じて満足。今度は別のメンツで行って、写真を撮ってこよう。(今日はカメラを忘れたんでね。申し訳ない。)

その後 Jay 君の店に戻ってしばし。いろんな客が入れ代わり立ち代わり。ペーターは大変だったようだ。閉店紛れに「こてっぱん」の社長が来て、面倒な仕事を渡された。人の喧嘩の仲裁が出来るくらいなら、小生はとっくにうまくいってるぜぃ、と思いながら聞いていたんだが、どうも全権は小生にゆだねられたらしい。面倒臭い仕事が多いそばから、また面倒くさい仕事を押し付けられた。今色々と考えていたんだが、小生には解決は無理す。あとは時の流れに身を任せるしかないな、という感じ。夫婦喧嘩は犬も食わない、と言う通り、小生のような若輩者には食えない。まあ努力はしますがね。

さて、98年の優勝ユニフォームで挑んだジャイアンツ三連戦だが、無様にも三連敗。小生も同じユニフォームを着て応援したんだが。2割5分台で、ホームランはようやlく10本。こんな選手は出ていってすっきりした、と思った村田にタイムリーヒットやらホームランを打たれてのシオシオのパー。いまだ東京ドーム勝ちなしとか。5位は見えた、と思ったが、やっぱり無理だな。

2012年9月2日日曜日

床屋

先日「ふなごや」で食べて飲んでして、その後「いっぱい2」で新鮮な生サーモンを食って軽く飲もう、とおもって行ったら、なんといつも行っている床屋の2代目がいた。しばし歓談。が内心ではちょっとびくびくしていた。何故なら店長が小生のことを「きょうじゅ」と呼ぶもんだから、2代目に聞かれないかどうか心配していた。床屋では小生普通のサラリーマンだということにしてあるんでね。で「土曜日に行きます」と約束してさようなら。幸い小生の正体には気づかなかった模様。

で約束通り昨日床屋へ。大将は最近極力2代目に任せているらしく、今回も2代目が切ってくれた。3か月ぶりくらいだろうか。すっきり。

帰宅中にファミリーマートがあるんだが、そこの手前で「こてっぱん」の副店長が自転車で抜いていった。でファミリーマートに入っていったんだが、小生の直前に「いっぱい2」の店長が。小生も麦茶を買いに入ったので、店内で3人ばったり。「こてっぱん」の副店長は紙パックのジュースを買っていった模様。「いっぱい2」の店長はメニューをコピーしていた。丁度16時くらいだったから、どちらの店もそろそろ開店準備らしい。

で昨日の小生はどうかというと、床屋から帰ってきてから今朝まで寝続けた。何故って?徹夜したからね。明るくなるくらいまで “PJ's” で飲んでいて、午前中用があったからね。野球もつまらん経過になっていたし、ちょうどいい、ということで爆睡。大分軽くなったが、まだ何となく体が重い。(物理的に重い、と言う意味ではない。)今日も昼寝するか。

2012年9月1日土曜日

鯨だぜい

元鯨、今頃は消化済みで体外へ。





こっちも元鯨だぜい。DeNA のマークが(見えないくらい)ないところが味噌。1998年日本一時代のモデルの復刻版だぜい。昨日もこのユニホームで試合をしたが、無念2-1で負け。