2012年9月7日金曜日

没後20年

今朝ニュースを見ていたら、尾崎豊が死んで20年経った、という話題がやっていた。死去の一報が入った時は、昼に早稲田理工51号館の図書室(通称 院読)で R.Schoof の類体塔の論文を読みながらラジオを聞いていたのだった。この日はある意味小生の青春の終わりである。高校生から大学生の初めころ大分ひねくれていた小生は、尾崎豊の「卒業」に引き込まれるようにしばし尾崎豊の歌を聞きまくっていたのである。が、このころは進路を決めかねてバイクを盗んでいく少年や、両親に背を向け一人旅立つ少年はもう現実のものではなかった。そのころは何かいい数学の結果を出すために必死になっていた時で、もう親や周辺への反抗心はおさまっていた。その後本格的に数学の結果を出すまでは、尾崎豊は封印して、そのころ(というか今でも好きな)浜田省吾へと音楽の趣味は写っていた。

さていま尾崎豊が生きていたらどうなっていただろう?かれは小生より2歳上の46、7歳。もし存命なら子供を頭から抑え込む歌を歌うか、はたまた浜田省吾の「反抗期」のような歌を歌うか、興味深い。結局彼は今の時代まで生きていなくて、伝説にされたのが良かった、というのが小生の意見だが、「いや、もっと生きて、大人の尾崎豊を聞きたかった」という意見もある。まあただ小生が感じるのはあの「卒業」を聞いたときの戦慄は2度と走らないだろうな、ということ。小生も20年+α 歳をとったわけだが、あの歌を一度消すのは嫌だ。だから、氏のCDを一枚も捨てずに実家とこっちの住処にまだおいてある。「Goood bye 青春」(長淵剛の歌)を踏み出せないところである。